無題
2011/04/05 13:29:27
大変なことが起こった。3月11日、東日本大震災。
私はこっちでワールドニュースを見ていたけど、もうただただ信じられなかった。私の町、釜石が津波に飲み込まれる映像だった。ただ泣くしかなかった。家族とも連絡が取れず、とにかく不安で不安で仕方なかった。一時は最悪の事態も覚悟した。
なんとか家族は無事だったけれど、家は地震と津波の被害にあいボロボロになった。母の家は完全になくなり、多くの知り合いが死んだ。高校時代の友人も死んだ。知っている人の多くが、家族や家を失った。仕事も失った。釜石は瓦礫の町に変わった。そして今、私の家族は全員避難所で生活している。さらに原発で事故も起き、いまだ物資やライフラインは回復していない。本当に、信じられない大災害だった。
地震から数日はパニックと不安の間にいた。このとき本当に地元の誰とも連絡が取れなくて、不安に押しつぶされそうだった。みんな死んだかも、と思わざるを得なかった。でも、つとめて冷静でいようとする自分もいた。私の40%くらいは驚くほど冷静だったと思う。万が一の事態を想定したら、『私は私なりに精一杯生きるしかない』と、ここで思考回路を止めて普通に過ごすしかなかった。
1週間ほど経ってからやっと家族や友人と連絡が取れるようになり、安否を確認する中で、次第に冷静さを取り戻した。訃報にも接したけれど、たくさんの人に励ましてもらった。みんなの優しさが伝わってきた。まぁ地震直後はショックとストレスで、誰の励ましもうまく受け入れられなかったけれど…(ごめんなさい、これ正直なところ)。
今まで家族や友人と連絡を取りながら地元の状況を確認していてブログどころじゃなかったけど、最近やっと気持ちも落ち着いてきて、O町のU澤君や、岩手県のH本さん、複数の友人からから『更新してよ』というリクエストももらったので、またポツポツ更新することにします。minieriも、誕生日のコメントありがとうね。誕生日の2日後にこんなこんなことになるなんて思わなかった。大槌も大変だったね。本当に言葉がない。
今の私には何もできない。瓦礫が流れ込んだ家には帰れないから、しばらくここにいるしかない。ひたすらみんなの健康を祈って、地元にいる人に託すしかない。ごめんなさい。帰れるときが来たら帰ります。みんなから帰ってくるなと言われますが、やっぱり一度は帰らないと、と思います。
◎釜石・大槌の友人知人へ。
信じられない大災害だった。月並みな言葉では誰を慰めることも出来ないし、励ますことも、何かを変えることも出来ない。でも、やっぱりこれしか言えない。
「がんばろう。」
これは別に全身全霊で地元の復興に協力しようってわけじゃなく、今の私たちに出来ることを精一杯やろうって意味。地元にいる人は、体調管理をしっかりしてください。とにかくそれが大事だと思う。睡眠をしっかり取ってちゃんと食べてほしい。もう少ししたら仮設住宅での生活が始まるけど、助け合いながら生活してほしい。地元にいない人は、家族への連絡を絶やさず、自分の生活をキープすればいいと思う。それも立派な支援だと思う。いつか地元に貢献する日のために、自分の体調もマインドもしっかりキープしておこう。
◎県外の友人知人へ。
多くの励まし、本当に本当にありがとう!そのときはパニくっていて、みんなにちゃんと返事できなかったけど、心から私や被災地のことを心配してくれた気持ちに、とても感謝しています。ありがとう。これからまだまだ大変な時期が続くけど(関東も例外じゃないか…)、被災地の人も頑張っているから、少しだけそれを思いながら生活してもらうとありがたいです。
こちらニュージーでもチャリティーの募金集めなどをやっていて、世界の人が日本のことを心配しているのが分かる。まったくの他人事!って感じで見ている人も多いけれど…。でもだからこそ、日本は沈まないってことを証明しよう。被害を受けた地域の一刻も早い復興を祈ります。ブログもちょくちょく更新していきますので、覗いてみてください。NZだけじゃなく地元ネタも書き込む予定!
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